封筒の歴史は郵便の歴史
「封筒」はどのようにして私たちの身近な存在になったのでしょうか。
毎朝、出かける前、または家に帰ってきた時、1日に1回はポストを覗く習慣がありますね。
昔からポストに届く郵便物は中身が見えないように封がされた「封筒」が利用されています。
手紙で使われる「封筒」はもちろんのこと、銀行でお金をいれる袋、買い物でもらう紙袋、病院で手にする薬袋など、普段何気なく使用している「封筒」は身近にたくさんあり、デジタル化が進んでいるとはいえ、今も「封筒」は私達の生活の中で欠かすことのできない存在です。
なぜ「封筒」が現在のような身近な存在になったのでしょうか。
またそうした封筒が郵便というシステムの中で利用されるようになったのはいつのことなのでしょうか。
それには、イギリスで起こった郵便革命の歴史を探ってみる必要があります・・・
世界最古の封筒とは
最古の封筒は、一説によると紀元前2000年頃の古代バビロニアにあると言われています。
古代バビロニアには多くの民族が存在していたため、多くの言語も存在しており、さまざまな情報を筆記してそれを伝え合うという文化もありました。
板状のものに文字を書きつけ、それをはがきのように届けていたようです。
しかし、メッセージがむき出しになった状態では、その情報が、果たして送り主の書いた原本なのかどうかわからない。
なぜなら、受け取り手に届く前に上から書き足すことでメッセージを変えることもできてしまうからです。
そこで何か封のようなもので中身を守るために使われたのは粘土。
手紙である板状のものに湿った粘土を巻き付けて、送り主だという特定の文様を粘土に印を残し、焼いて硬化させます。
中にあるメッセージはこの粘土を割らなければ見られません。
つまり、届いた時に粘土が割れていなければ、その中身は誰も読んでおらず改ざんされたものでないということが保証されたのです。
また法的な書類などを保存するためにも、保存したときのままの状態であること、そして環境などによる文書の劣化を防ぐことを目的としてこうした粘土の封筒は利用されました。
このような粘土の封筒が現存している最古の封筒です。
この粘土封筒は、その後、紙が製造されるようになってからも、中身を守る、保証のためだけでなく、紙や木簡などの文書を保護するために利用され続けてきたようです。
イギリス郵便革命

それではイギリスでおこった郵便革命について見てみましょう。
紙そのものが発明されたのは、古代中国で、2世紀にはすでに紙が発明されていたと言われています。
12世紀、十字軍の遠征によって紙がヨーロッパに伝わっていたにも関わらず、封筒が広く利用されるようになったのは、なんと19世紀になってから。
1840年、近代郵便の父と言われるローランド・ヒルによるイギリスの郵便制度の改革によってでした。
それまでの郵便料金は高額で、便箋の枚数と送り先までの距離によって定められており、封筒も1枚分に数えられていたため、人々は郵便料金を抑えるために封筒を使わず、便箋をそのまま折りたたんで封蝋(シーリングワックス)をして郵送していました。
ヒルは郵便の重量制の全国一律料金化を行って料金を値下げ、これまでは受取人負担だった料金を切手によって前払いにするという前納制のシステムを導入します。
この時、歴史上はじめての切手・通称ブラックペニーが登場しました。
ちなみに今でもイギリスは国名を記さずエリザベス女王のシルエットを印刷した郵便切手を使用していますが、国名が入っていないのは世界でも類を見ません。
切手を発明した国の強い自負を感じますね。
この郵便改革によって人々が気軽に郵便を利用できるようになり、人々は手紙を封筒に入れ保護して運ぶという封筒本来の役割を見直すことになったのです。
さらに郵便改革から5年後の1845年、エドウィン・ヒルとウォーレン・デ・ラ・ルーが封筒製造機を開発、封筒製作の機械化によって封筒を大量生産できるようになり、さらに封筒の普及に拍車をかけることとなりました。
郵便馬車、鉄道、車、飛行機へと郵便配達手段は進化し今日のような姿へ変化するとともに、封筒がより身近な存在になっていったのです。
そして日本の郵便改革へ
ヨーロッパに紙の文化が広がったのが12世紀ほどであるのに対して日本の封筒の歴史は、それよりも遥かに早い平安時代に始まっていたと言われています。
もちろん紙は当時の庶民に広く使われていたわけではなく、貴族の連絡手段や記録を残すための手段、また書籍などの文章媒体として使われていました。
個人的な手紙は木の枝に結びつけて送り合うのが一般的、正式な手紙は文章の書かれた紙の外側を懸紙という紙で包んで送付していたといいます。
この平安時代の平紙が日本の最も古い紙封筒の起源だということができるかもしれませんが、本格的に「封筒」が広まったのは、日本の郵便改革後になります。
日本の郵便制度は、現在の1円切手の肖像にある前島密(まえじまひそか)がイギリスの郵便制度を手本にして明治4年、1871年にスタートさせました。
官僚で政治家である前島密は明治3年、1870年にイギリスへ渡ります。
明治初期、近代化をめざす明治維新の混乱の最中、前島は日本が外国と同等に付き合っていくには、まず連絡・通信のインフラを整備し、それに至る物流の道をつくらなければならないということに注目していました。
そこでイギリス滞在中の公務の合間、熱心に西洋の郵便システムを学びます。
明治4年、1871年に帰国した前島は駅逓司(えきていし)のトップに就任。
駅逓司とは、江戸時代の道中奉行所のこと。
この頃は行政のさまざまな制度に江戸時代のシステムが流用されていました。
江戸時代の飛脚には無料の幕府の公文書を運ぶ継飛脚と有料の民間が営業する定飛脚の2種類が存在し、交通や宿駅を管理する役所として道中奉行所が今の郵便局のような役割をしていました。
イギリスへ渡り西洋を見てきた前島は西洋のシステムをそのまま取り入れるのではなく、従来のシステムを活かし、理念やシステムは西洋のもの、ただし実際に郵便を運ぶシステムは江戸時代からの宿駅制度を流用することでお金と時間をかけず通信インフラを整備していきます。
ついで飛脚は公用、民間に関わらず、また身分や肩書にも関係なく、皆が平等で料金均一で利用できるシステムに変更し、切手を導入するなど、次々と日本の郵便システムを改革していきました。
イギリス同様に郵便制度が改革され、日本でも郵便が広く使われるようになったことで、やはり日本でも封筒が一気に普及していくことになったのです。
ちなみに切手・郵便は彼の残した日本語です。
語源である切符手形ーお金で得た権利を証明するものから2文字をとったものを切手。
郵便の語源ですが、(郵)はもともと伝令中継をするための頓所や飛脚の中継をする宿場を意味していました。
また宿場から宿場へ文書を送ることを意味する(郵伝)駅伝で送る便りを表す(郵信)文書を送る意味のある(郵送)があり、そこに(便ー便りや手紙)を意味する言葉をかけ合わせできたのが郵便です。
そして現在・・・

それから1世紀以上を経て、封筒は様々な作成機によって作られています。驚くべきことに全世界で毎年1850億をこえる封筒が作成されていると言われています。
普段何気なく手にしている「封筒」ですが、これまでの歴史を紐解いてみると色々な物語が隠されていたのですね。
こうした先人たちの多くの努力と知恵によって郵便制度は発展をとげ、今日、日本の郵便はヨーロッパのものとは比べものにならないほど、信頼性の高いものになりました。
そして、こうした「郵便」の発展とともに今では「封筒」も私達にとって欠かすことのできない存在へ変化していったのです。
変わらないのは封筒はこの世に登場してからずっと、私達の大切な文書を守り続け、人々の間を行き交っているということ。
人と人の間に立って心通わせるお手伝いをしたいというのが当社の原点です。
今後も「封筒」で「繋げる」を支えて参りたいと思っています。