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紙袋・封筒通販.com のスタッフ・はただです

日曜日は参院選挙でしたね、大事な一票
私も投票所へ行ってきました。投票率は52パーセント
だったそうですね。

夜は8時くらいから選挙速報が、各局とも行われていましたね。
毎週見ているNHKの大河ドラマ「八重の桜」7時10分からの
放送で、食事をしながら見ていました「鶴ヶ城開城」

歴史の勉強は苦手だったのですが、ドラマや映画で
興味をもつようになりました。と言うのか・・・「篤姫」
「坂本竜馬」「八重の桜」とそれぞれの人物に深く
興味を持つようになりました。

でている女優さんや俳優さんが旬な方ばかりでなので
見てしまいますね。 「八重の桜」 明治維新 ・・・
ちょうどこのころが活字印刷の発達した時期なんですね。

日本の改版(出版)は鎌倉や室町幕府時代にも続けられて
いましたが、そのほとんどは木版、一枚刷りの版で印刷されたもので
朝鮮侵略のさいに朝鮮から活字印刷技術が伝えられ、数種類の
書籍が出版されました。

南蛮貿易がさかんになり、金属製の活字による活字印刷技術
宣教師ヴァリニャーニによって伝えられ、印刷機も輸入され
宗教書の翻訳など刷られましたが、徳川幕府を刺激し

日本に根をおろしかけた活版印刷技術、さらに出版物も
残念ながら破壊されてしまったそうです。明治3年日本で
最初の洋式活版刷りの日刊新聞「横浜新聞」第1号が
発行されました。

この新聞の活字を揃え、準備したのが 本木昌造と言う人です。
本木昌造と言う人物、1824年に生まれ、11歳のときにオランダ語
通訳見習いとなって家業を継いだ秀才。1848年24歳のとき、
長崎奉行所活字判摺立所御用掛を命ぜられました。

さらに彼は、蒸気船乗立伝習生になったり、オランダ商館の医者から
化学、物理、製鉄法なども勉強した万能博士でもあったそうです。
彼は製鉄所で技師として努めるかたわら、洋式活版印刷の企業化を

考えて長崎で私塾を開いたのですが、まだ鋳造方法が十分では
ありませんでした。長崎の宣教師フレベッキにたのみこみ
美華書館館長ガンブルに2週間という長崎滞在中に

欧米で実用化されていた活字鋳造法の全てを習いました。
このとき、明治初期の大変革期です。活版印刷技術は欧米からの
技術を採り入れてすばやく事業化され、明治10年代の後半には
ほぼ日本人自身の手で1人立ちできるほどに育ちました。

日本の印刷技術と事業は、新しい日本の、新しい文化創造の
担い手として登場していったのですね。